バイアス(Bias)とは、「斜め」或いは「偏り」や「歪み」を意味する言葉ですが、そこから転じて偏見や先入観という意味を持ち、「認知バイアス」という概念は心理学や統計学で使われます。例えば、ある人の意見や考え方に対して「バイアスが掛かっている」という場合には、その人の意見や考え方が偏見や先入観に基づいている、ということを意味します。
認知バイアスには様々な種類があります。
「確証バイアス」とは、自分にとって都合の良い情報だけを集めて、自分の判断の確証となるものを探すことをいいます。人間の脳は、理由を求めるものなので、例えば誰かを嫌いと判断すると、その人について、自分の先入観を立証するような悪い所ばかりを探すようになります。自分の見たいものを見つけようとする、ということです。
「正常性バイアス」は自分にとって都合の悪い情報、害になる情報を無視するというものです。この案件だけは大丈夫、自分にはそんな悪いことは起こらないという、根拠のない自信が強く感じられる場合には、このバイアスを疑ってみる必要があります。
「保守性バイアス」とは、これまでの自分のやり方に固執して、それ以外を否定し、正当に評価をしないことを指します。平たく言えば「頑固」ということです。本来は、柔軟な発想がクリエイティブなものを生み出すものですが、過去の(成功)体験が、新しい発想を封じ込めてしまう恐れがあります。
「内集団バイアス」は自分が所属している集団が優れていると思い込むことをいいます。自分以外の人や他の集団を低く評価しがちなのもこれに当たります。
「自己奉仕バイアス」は、成功したら自分のおかげ、失敗したら誰かのせいという考え方です。自分のプライドを守るために無意識に働いてしまうバイアスですが、「自分のことを棚に上げる」こととなる為、周囲にとっては非常に厄介なものです。
これらは人間の持つある種の特性であり、個人差はあれど、これらのバイアスから完全に逃れることは出来ないと考えておいた方が無難です。別な言い方をすれば、我々は常に自分の周囲の世界を「色眼鏡」で見ている、ということです。
人間は「自分に見えているもの」が「実物」だと思いがちですが、実際には眼で見えていない部分も脳が勝手に「補正」することで、全部見えているような気になっているだけであり、「物事をクリアに見る」「実物が何なのかを見極める」、ということは我々が考えている以上に、奥の深いことです。
“If all you have is a hammer, Everything looks like a nail”(もしハンマーしか持っていないとすると、全ての物が釘に見える)という英語のことわざがあります。これも「確証バイアス」を表わすものです。我々が多かれ少なかれ、バイアスの影響を受けるとするならば、その影響をどのようにして最小限に止めるかが問題です。
一つは、心理学や脳の働きに関する知識を身につけ、人間の性質をより深く知ることであり、もう一つは他人の声に謙虚に耳を傾け、多様な情報が入って来る入口を確保すること、それらに対して偏った評価をせずに、複眼的な視点で物事を観る習慣を心掛けることなどではないかと考えています。
「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」(カエサル)