今から約30年前、1992年のバルセロナ・オリンピックで、米国のバスケットボール史上初めて、NBAのスター選手を集めた「ドリームチーム」が結成され、優勝を果たしました。当時のメンバーは、マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、チャールズ・バークレー、ラリー・バード、パトリック・ユーイング、カール・マローンなど、(大学生から選ばれた一人の選手を除き)全員が後に殿堂入りするようなスター軍団でした。
しかし、その初戦となった大学生選抜チームとの練習試合で、ドリームチームは54対62で敗れます。メンバーの一人であった、スコッティ・ピッペンは「私たちはどうやって一緒にプレーすればいいか、分からなかった」と述べています。
敗戦の理由は、ヘッド・コーチのチャック・デイリーが、通常であれば試合の中で行うはずの調整・修正を一切しないと決めていたからでした。即ち、どれほど才能あふれる選手を集めたとしても、チームとしてバラバラな状態であれば、負けることがある、ということを選手たちに身を以て理解させる為に、敢えて試合を捨てたのです。
コーチが仕組んだ「警鐘」によって、傲慢さや自己満足が、チームワークやハングリー精神に変わり、翌日同じ相手と行われた試合では圧勝し、オリンピックでも毎試合100点以上得点し、楽々と金メダルを持ち帰りました。
翻ってビジネスの世界の「チーム」は、球技のように「チームで相手と戦う勝ち負けが明確な試合」ということが眼に見えるものではなく、チームで戦うことが徹底されていないため、チームとして機能しているかどうかという視点でみると、上記の「練習試合」レベルの働きしか出来ていない、と考えられています。
この点を大きな課題だと認識している、あるCEOは、「チームを成功させる鍵は、各メンバーがそれぞれの性格や素質に関係なく、如何に互いに関わり合うかです。レンガだけでなく、セメントも大事なのです。セメントの方が結果により大きなインパクトをもたらします」と語っています。
1990年代に全盛期を迎えたシカゴ・ブルズのフィル・ジャクソン(ヘッド・コーチ)は、選手たちにコミュニティの一員という意識を持たせました。フィルは選手たちのことを「トライブ」(部族)と呼び、徹底した「仲間意識」を植え付けました。マイケル・ジョーダンというスーパー・スターが居たにも拘わらず、彼を中心とするワンマン・チームではなく、チームワークを要求すると共に、それが報われるカルチャーを築き、12番目の選手でも自分の存在意義や貢献度を感じられ、帰属意識を実感させることで、全員の潜在能力を開放し、6度の優勝を果たしました。
「人と人の間にあるもの」を重視することで、チームの力を最大化する、というポテンシャルを意識し、それを実現するべく工夫を凝らすことは、我々が想像する以上に価値があるものと考えています。